若き日はわれに遠し───柴生田稔の歌集『入野』より

 

 

柴生田稔(しぼうた・みのる)。柴生田は陸軍予科士官学校教官を経て明治大学文学部の教授。

 

歌集『入野』には昭和34年から昭和40年にかけての歌を採録。

 

時代・情況は、60年安保前夜からベトナム反戦運動の始動期だった。

 

いつの日にか、60年代最末期に誕生したある学生同盟のその終焉に到るまでの光芒史が纏められたとしたら、その本の扉裏には、柴生田稔の次の一首を添えておいてほしいものです。

 

 

放課後の暗き階段を上りゐし一人の学生はいづこに行かむ

 

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白きシャツに学生ズボン隊組むをかく痛はしとかつて見ざりき

 

戦車の名もすでに復活してゐたりさりげなきものの移りのごとく

 

防衛大教授の君らの指導の書あやふしあやふし総力戦といふ言葉

 

ベトナムのため示威行進に行くといふわが子をはばむ理由われになし

 

すでにはるけき心とも思ふ彼(か)の窓に聞きしニコライの鐘の響きも

 

藤波の花のおぼろに若き日はわれに遠しもその歎かひも

 

相対的になりなりて来し考へを今夜かへりみてさらにおどろく

 

 

 

八甲田高原

 

夕づく日峰のかなたに入る時に湿る原の上しばし歩めり

 

さびしさよ広き高原に道ありて入日のなごり赤く照らせり

 

寒きあかりともる玄関に向ひゆく旅遠く来し人のごとくに

 

重ねたる本の中なる一冊をしばし思ひて眠りに入らむ

 

音もなく降りゐし雨がいつか止みて街の遠くまで夕日さしたり

 

日の入りしころより風は起りしと夜ふけて聞けばさびしき風音

 

颱風のそれゆきし後に降るしぐればらもダリヤも冷たくぬれて

 

はかなごと夜半に思へど朝明けて白き光にわれは出でゆく

 

茉莉の花をりをり匂ふ夜の机過ぎにしことはかにもかくにも

 

 

 

きざみたばこ年々すたれ来つること文語体ほころび行かなむ日のこと

 

信州に柴生田の姓ありたりと聞きて久しくまだたしかめず